おじいちゃんと音読カード
僕は読書が好きだ。
多い時は、月に20冊くらい本を読む。読む本のジャンルは特に決めていなくて書店でなんか面白そうだな、と思ったものをなんとなく手にとって買う、そんな感じだ。
元々小さい頃から本を読むのは好きだった。
子供が保護者に本を音読し、それを保護者が点数化する「音読カード」なるものが僕の通っていた小学校には存在していたんだけれど、それをなぜか僕とおじいちゃんは毎日繰り返していた。
おじいちゃんに孫が音読しているの光景ってなんかシュールで今考えると笑えるな。
音読カードは、学期ごとにまとめて提出していた。
他の子は3枚とか4枚とか先生に提出していた横で僕は65枚という驚異の音読量を誇っていた。台紙があって、その上に乗りで貼って重ねていくんだけど65枚にもなるとちょっとした本ができる位の厚さになっていた。提出の時の先生の引いた顔を今でも覚えている。
周りの友達もドン引きだったと思う。
音読のプロになるつもりなの?と周囲にからかわれたりもした。自分がやっていることを否定されて喧嘩もした。
変な所が強情で、融通の利かない僕は俺にはこれしかないんだど、逆に熱が入った気がする。
なぜそこまで音読していたのだろう。よくよく考えると、自分でもよく分からない。
勉強もスポーツも特に頑張る訳でもなく、僕の小学生生活は音読カード一色だった。
めっちゃさみしいなそれ。
だが、特別それに対して嫌な思い出はない。
おじいちゃんに感情を込めて読め、とかもっと大きい声で読め、とかすごい怒られていたのは今でも覚えている。だけど、普段は口下手で怖いおじいちゃんと一緒に共同作業するのは僕にとって、すごく楽しいものだった。
おじいちゃんが大好きだった僕は友達とのサッカーを断ってくる日も来る日も音読していた。
音読したからって、頭がよくなったりモテるようなになったり、特別なメリットはなかった。だけどその時の僕は、他に好きな事ってなかったから、すごい楽しかった訳でもなくてたまに苦行だなって思う時もあったのだけれど、どれはそれで満足していた。
今日本を読んでいて不意に昔の事を思い出して懐かしくなってしまった。ぶっちゃけおじいちゃんとの思い出は全部音読カードだ。
今はもう亡くなってしまったけれど、おじいちゃんのおかげできっと今でも本が好きなのかな。
あんまり上手い文章は書けないけど、ブログもはじめましたよ。
もしかしたら、それもこれもおじいちゃんとの読書のおかげかな。
僕は元気で本を読んでます。おじいちゃんも読書好きだったらから天国でも読書してますか。