群れる人はつまらない
僕は基本的に群れる人が嫌いだし、つまらないと思う。
僕の指す群れるとは必要以上に他人に依存して、他人と同じことをする人たちを指す。
なぜ群れるとつまらないのか
何故群れる人はつまらないと感じるかと言えば、同じような考え方になってしまうからだ。
朱に交われば赤くなると言うことわざがあるように、自分の意見が白であっても、黒の意見を持つ集団に長いこと属していたらいつのまにか自分も白になってしまう。
群れている人はほぼ100%周りの顔色を伺いながら発言するし、そんな定形区ばっかり言う人と一緒にいてもつまらない。
その上自分の群れの外にいる人間の悪口ばかり言う人は目も当てられない。
自分の意見を、考えをもっと日本人は大事にすべきだ。
エジソンも、アインシュタインも、ビルゲイツもスティーブジョブズも自分の考え方を貫いたからあれほどの功績を残せているだと思う。
群れないメリット
①自分の長所を伸ばせる
群れることによって、相手の好きなことや興味があることに自分も時間を費やす必要がある。
そんなことしている暇があるのなら自分の好きなことに没頭したほうがよっぽど楽しい。好きなこと=長所だと僕は考えているから、楽しいし、自分のスキルを伸ばせるし他人に気を使わなくていいし最高だ。
②自分の意見を持てる
群れないということは、当たり前だが一人の時間が増える。
一人の時間が増えれば、嫌でも様々なことを考える。物事を考える中で、自分が本当にやりたいことは何なのか。自分はこれからどうなりたいのか、見つめ直すことが出来る。
周りの意見で人生を左右されるのではなく自分の足で自分の人生をあゆむことができるのだ。
③群れない人に出会える
群れの中に属さなければ、同じ様に群れに属さない人と出会える。
群れから飛び出て自分の好きなことをやっていれば、同じ様に群れから飛び出した同士と出会うことが出来る。
お互い群れから飛び出しているのだから、お互いの意見を尊重しあえる上に、自分にとって良い刺激になることだろう。
そうやって切磋琢磨できる本当の友が出来る。
これらの3点から群れない人になるべきだと思うし、僕もそれを貫きたい。
おわり!!
本を読めば行動できる
前にも書いたんだけど、本を読むことは生きて行く上でとても大事なことだと思う。
本を読むことは行動に繋がる
読書をすることで、自分の価値観の外にあることを学びやってみようと思う。
もし、思わなくてもこういう考え方もあるのかと次の行動に繋げることができる。
僕は体力がなくて、面倒なことが大嫌いだ。
土日にどっか旅行とか外出してる暇があったら寝ていたいし、ゴロゴロして1日過ごしていたい。
だから、暇さえあれば旅行している人とか遊んでいる人を見ると「元気だなあ」とか「体力あるなあ」とか20代とは思えない定年後の方みたいな思考をしてしまう。
けれど、読書をするとこんな僕でも新しいことをしてみようかなと思う。
成功者の体験談や小説の主人公の行動で感動し、同じように自分も行動してみようと思えるのだ。
今よんでいる本
今現在僕は「フルサトをつくる」という本を読んでいる。
この本はセーフティネットとして、地方に住居を持つことを推奨している本だ。
僕は、基本的に東京で働くことが多い。
東京って、人が多くて疲れるだけじゃなくて競争社会で勝ち上がってきた人が多いから、そういう人たちと話しているとなんか疲れるし無駄に争うのもだるい。
確かに都会ってなんでも買えるし魅力的だけど、家賃が高くて給料のほとんどを家賃にもっていかれる人もいる。そのくせ疲れる。
フルサトを作るでは
そんな中、気が向いた時に帰れる場所を作ってもいいんじゃないの?ってことで地方に住居を持つことが書いてある。
住居を持つっていうと大層なお金がかかって、田舎の別荘とか金持ちにしかできないことだと思われがちなんだけど、田舎のちょっと古い民家って一万とか二万とかで借りることができるみたい。
一人だと、毎月それを払うのは大変かもしれないけど友達とか2、3人で割ればちょっとした旅行みたいなのが手軽にできるし、そこで週末農家みたいなものをやっていたりして、ちょっとでも収入があれば
そっちを本業にしてみようかなとか新しい選択肢を作ることが出来るので面白いと思う。
僕自身前から仕事やめて、知らない田舎で暮らしてみたいなとか考えていたから
面白いなあと思った。
こんな感じで自分がぼんやり考えていたことを実際にやっていて、その体験談を言語化されているのが本である。
それを1500円とかで手に入れられるんだから買わなければ、読まなければ損だよね。
とりあえず、いつか地方に移住します。
おわり
さんぽさいこう
散歩をした。
いつもの僕ならば、土日は起きてからだらだらする、本を読む、DVDを見るを見るの三択なのに、今日はなんか散歩したいなあと思った。気の向くままに行動するのが、僕の主義なのでとりあえず、外に出ることにした。
散歩はやっぱり良い。僕は、散歩する時特に目的地を決めないでなんとなく動くことが多く、今日も例に漏れず適当に歩いていた。この散歩方法の一番のメリットは普段出会うはないような店舗や場所を知ることが出来るのだ。
今日もいい店を発見した。HERZというハンドメイドの革製品店で店舗後方の工房で作っている商品を販売している。財布・鞄・パスケース等品揃え豊富でハンドメイドのランドセルまで置いてあった。
今回は、パスケースが欲しかったのだけれど、好みの色の物が無かったから牛革を購入した。今後自分で作ってみよう!!
店内はこんな感じ
そこからぶらぶら歩いて宮城県庁の近くのオシャレな喫茶店を発見。
喫茶店なのに、半分は古本がメインの書店となっていて面白い。
色んな本屋があって面白いなあ
タコライス美味しかった。
楽しかったからまたさんぽしよーう
おわり!!
くせのうた
シルバーウィーク明けの仕事はやはりつらい。寝る前も明日からまた仕事かよおおおおおいやだあああって気持ちで寝るのは最悪だし、朝起きて同じ気持ちをまた味わう。電車に乗っても、自分と同じ様な気持ちを抱いているおっさん達の死んでいる目を見ているとこっちまで元気なくなるから本当にやめてほしい。
僕もそんな目をする大人になるのかなああ。23だから・・・もうおっさんか・・・
とか思いながらなんとか出勤。欠伸をしながら仕事を始め、時計を見ながら仕事を終える。家に帰って何しようかウキウキしながら帰宅。
途中のスーパーで肉、ネギ、白菜を買って家ですき焼きを作る。すき焼きはタレが少なくて、ちょっと薄味だけど今日は米が美味しくたけたのでご機嫌だ。
昨日借りたCDをmacに入れて聞く。星野源というアーティストのばかのうたというCDを借りた。
彼のことは、「働く男」という彼の書いた本で知った。今年新社会人になったばかりなのに働くという行為に疑問を感じている。僕はなんとなく本をとりそのまま買った。
2、3ページのエッセイがいくつもあるという感じの本で、ブログみたいだなあと思った。働くという行為について言及している所は、あんまりなくてどちらかというと映画の書評とか好きな音楽について書いている。
音楽に限らずアーティストいう人達はものすごいおしゃれな映画や音楽を知っているもので、星野源も例に漏れずおしゃれ度たっぷりの映画や音楽について述べている。この中のいくつか気になった映画をみようかな。
彼のアルバムを借りた話に戻るのだけれど、めっちゃいい。普段僕は割りとロック調なドラムガンガン叩く音楽が好きなんだけど、星野源の曲調は基本調ピアノとギターとかシンプルなものが多いんだけど、落ち着くし気持ち良い音楽が多い。
映画やテレビに出てるのも見たことあるし、なんだこの人・・・・最強か。
歌手であり、文筆家であり、俳優であり、芸人?でもある彼にこれから注目していこうかなと思う。
たぶん世間一般にみたら、おせーよ!ってなるんだろうな。
おわり!!
平等の嘘
僕は平等という言葉が嫌いだ。
世の中は不平等に満ちている。
容姿・性格はもちろん、家族にも大きな影響を受けるだろう。親が高学歴でお金をたくさんもっていたら、子供の教育にもそれなりにお金をかけるし、そうすることで子供もそのレールに乗ってお金を稼ぐ。
本なんて読んでいる暇があるのなら外で遊んできなさいと言う親ならば、同じ様な人生の道筋を通ることが多い。
蛙の子は蛙とか医者の息子は医者とか昔の人は上手いこと言うなあって。
そういうものなんだと思う。
だから、人生は不平等だと思う。
平等・平等言っている人たちの目はどのみてんだろーな。
それなのに社会は周りの人と同じことを求める、義務教育をきちんとこなし真面目に堅実に生きるのは社会の模範となっている。
結婚して、マイホームを持って、子供と奥さんと幸せに暮らす。
そんな日々が日本においての模範解答ではないだろうか。
僕は自分の好きでいいんじゃないって思う。
別に学校行かなくても、いい会社に入らなくても、マイホームを持てなくても、自分のやりたい様に人生を歩めればいいんじゃないかな。
そんな偉そうなこと言っている僕も、普通に典型的な日本人のレールに乗っている最中なんだ。
もう少しちゃんとやりたいことができたら脱線したいな。
とりあえず言いたいのは、皆平等じゃないからそれぞれ目指す方向も違うし、考え方も違うから自分の考えに自信をもって
もっとやりたいようにやればいいじゃん。
世間体とか気にしてたらあっという間にお墓はいっちゃうじゃん?
やりたいことやろーぜってこと。
おわり!
好きなだけ、愚痴を言おう
溜め込まないで、愚痴を言おう。
日本人っていう民族は、保守的すぎるって言うか周りの目とか気にしすぎだと思う。
まあ、社会なんて正直に物事をいったら常識無いやつだって思われるからしょうがないところもあるんだけど。
例えばだけど、仕事なら「こんな無駄な会議をしている暇があるなら実際に、お客様とコミュニケーションをとってどんな需要があるのか掘り下げた方がいい」とか「こんな研修という名の座学をしているのなら、実際に業務している方が仕事覚えるんじゃないの・・」とか
プライベートならば、「なんであの子は、自分の自慢してばかりで、私の話を聞かないんだろう・・・」、「本当はあの人と一緒にいると疲れるな」
とか皆その類の感情を持ったことがあるはずだ。
そういう時は自分の思っていることを正直に話そう。
つまりは愚痴をいっちゃえってこと。
自分の意見を発信しない奴って最高につまらない。右へ習えで皆と同じ様な意見を発信して安心している人って卑怯だと思うし一緒にいて楽しくない。
なにも、誰にでも思ったことを100パー誰かに伝えろなんて言ってない。そんなことしたら一瞬で会社クビになるし、友達はほとんどいなくなるだろう。
僕が言いたいことは、誰にでもなんでもかんでも話すのではなくて、自分がどうしても曲げられないこと、違うなって思うことを信用できる友人・家族・知人にしっかり共有することが必要だということである。
僕は、どうしても自分の中にある強い疑問・違和感は友達に必ず発信している。
それで自分という人間をより理解してくれると思うし、それで離れていく人は自分には合わなかったんだと開きなおろう。
そういうことをしっかり発信できないで、自分の中に溜め込んで人を傷つけたり、犯罪を犯したりする人日本には多すぎる気がする。
もっと自分に正直に生きよう。
嫌なものは嫌だし、好きなものは好きなんだ。それでいいじゃん。
おわり!
読書しない奴は、つまらないから本を読め
いい歳こいて読書しない人は、つまらない人だ。
僕の経験上、大人になって本を読まない奴は99%つまんない。
だからといって、全世代の人が本を読めって言ってるわけじゃない。
小学生とか中学生とか、そういった年代は、別に本を読まなくてもいいと思う。(読んだ方がいいのは当たり前だけれど・・)
それぞれのコミュニティである、部活やグループ等で自分のスタイルやキャラクターを認識できる。
その中で社会で生きて行く基本的なノウハウ、所謂コミュ力であったり、周囲との距離感であったりは学生時代の小さなコミュニティの中で培われると思う。
だからバカみたいに外であそんでいてもいいと思うし、成長に繋がると思う。
けれど大人、なるとそうもいっていられない。
会社という狭い枠で(辞めない限り・・・・)20、30年過ごすわけだ。
学生自体と異なり、この人と話しているのはだるいな、疲れるなと感じたからといって、他のグループにいくわ!ってノリで会社を辞めることが出来ない。
その上、「クラス替え」という定期的に自分の周辺環境を変化させるような行事も少ない。
ではどうしたらいいのだろう。変化しない環境の中自分はどう変化していけばよいのだろう。
そんな時、役に立つのが読書だ。
ビジネス書を読むことにより、自分の周囲にはいない一年で何千万・何億と収入を得るスーパーマンのノウハウが詰まっている。
著者が自分と同じ業界で仕事をしているならば、ノウハウをそのまま生かすことができる。他業界であるならば、著者がその業界で培った視点を学ぶことが出来、多面的な視点で物事を観ることが出来る様になるはずだ。
例えば、金融マンが書いた節約術、銀行の裏の様な本は専門家ならではの知識が盛り沢山で大変参考になる。
小説を読めば、自分の語彙力・表現力を増やすことが出来る上に日常的な会話のレパートリー物事を的確に端的に表現する力が身につく。更には、自分の妄想の範囲を超えてくる物語に直面したときのあの感動は筆舌し難い。
自分が予想していた展開の裏を取られた時の、悔しさ・ここまでのめり込む物語を書いた著者に対する感謝の気持ちが交錯し胸が高鳴る。
また、ノウハウや語彙力想像力等のメリットだけでなく、心理的にプラスな要素がある。
才能豊かな著者が書いた本を読むことで、謙虚な気持を持つことが出来る。
ある程度の年齢になってくれば、自分より若年者が書いた本を読むことが必ずある。
自分より若い人間がこんな大作を書いたのかと絶望に近い感激を覚える。
その経験を何度も体感することで傲慢になりすぎず、常に自分を冷静な視点で観ることができるだろう。
それに対して、本を読まない人は自分の力の冷静に見つめることが出来ていない傲慢な人が多くはないだろうか。
これを読んでいる皆さんの周囲を観察してみよう。必ずいるはずだ。
傲慢な人は実力を過信しすぎている上に自分の意見が正しいと決めつけ周りを見れない人だそういう人はつまらないなを通り越して、ただ可哀想だなと思う。
最後に、ここまで読んでくれた読者の方、是非今度書店に立ち寄った際には、なんか気になるなと思った本を手にとってレジにいって見てください。